大前提 anchor.png

多分、写真に限ったことでは無いのだけど、何かをする上で、一番重要だと思うこと。それは…

楽しむこと

なんじゃーないかな。何かをやることが楽しい。楽しいから、もっとやりたくなる。それでイイんじゃないかなと。平たく言えば、人からどーのこーの言われようと、自分が楽しんでいる。だから続けられる。まず重要な事はここだと思います。

さて、写真の場合は、撮ることも楽しいけど、撮ったものを公開して、人に「いい写真だ」と認めてもらえれば、もっと嬉しい。じゃあ、いい写真って、なんだろう?上手な写真ってなんだろう?と、考えてみると、意外と難しい。んで、私が写真講座を受けてみた時の、講師のお言葉で代用させて頂きたいと思います。

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上手な写真とは? anchor.png

写真には、いろんな要素があります。構図、ブレ、ピント、ボケ、光と影、色。これらを駆使して、自分の世界を表現するわけです。上手い、下手とは。

自分の意図通り撮れた写真が、上手い写真

であると。構図が甘かろうと、ブレていようと、ピントがあっていなかろうと、ボケがイマイチでも、光と影がおかしくても、色がズレていても、それがその人の意志であり、狙っていたのであれば、それは上手い写真なのだと。絶妙の構図、かっちりばっちりな写真でも、自分の意図と異なった撮れ方ならば、それは下手な写真なのだと。つまり、自分が表現したいことが、自分の狙ったとおりに撮れている写真が、上手い写真である、と言える。ナルホドねぇ。

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いい写真とは? anchor.png

いい写真、ダメな写真。これは~、難しい。これは、誰にとって、いい写真なのか?ということが変わってくる。自分にとって、いいのか?見てくれる人にとって、なのか、それとも…撮られた人(モノ)にとって、なのか…?写真の評価とは、とても主観的なので、見る個人によって、評価が変わるのですよねぇ。私がいいと思うものを、貴方がいいと思うとは限らない。講師の方はこう言ってました。

私が写真を撮るときは、撮られる人(モノ)を、より良く写そうと考えます。よりカッコよく、より可愛く、より素敵に。私が撮った写真を見て、撮らせてもらった人(モノ)は、喜んでくれるかな?私の魅力は、こんなものじゃない!て言われないかな?と考えながら撮ります。

深い言葉だと思います。

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自分なりに、咀嚼して考えてみた anchor.png

上手い写真、いい写真。( ̄へ ̄|||) ウーム。うまい写真はよく分かりますよね~。技術的な話だし。いい写真。誰がみてもいい写真か。ちなみに、もうちょっと後日談があって。こうも言われました。

写真って、好き好きだから。同じ写真見て、評価してくれる人と、評価しない人がいるよ。これはしょうがない。好みだから。でもね。まず自分がいいな、って思う写真じゃなきゃいけないよ。
例えば、料理人だってそう。同じ料理を好きって人もいれば、嫌いって人もいる。好みだからね。でも。自分が作る料理は、自分が美味しいって思った料理だから、人にも食べて欲しいものでないと。「俺はまずいよなーって思うんだけど、一応食べてみる?」なんて言ってる料理人から、そんな料理食べさせられるの、嫌でしょ?だから、自分が「これ、いいな!」って思う写真を見せる。これは礼儀だと思う。

いやぁ、ナルホドそのとおりだと思うっす。一番は「撮り手の気持ちが写真に乗り移っているか?」がってことかなと。撮り手が感動していること。喜怒哀楽の感情が乗っていること。これがない写真は、どんなに綺麗でも、よく撮れていても、イマイチ伝わってこないと思うのです。

そして、その感動を、技術を駆使して、どれだけより的確に残せるか?てことかなと。つまり技術は無くても素敵な写真は撮れる。でも、素敵な写真をより良く残すために、技術がある。この順番を誤ってはいけないのだろうなーと。それらが一つに纏まった時に、初めて「この感動をくれる被写体を、どうすれば、もっとカッコよく、素敵に、可愛く残せるか?」が生きてくると思うのです。

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最終的に重要なこと anchor.png

なもんで、一番重要な事は、自分自身の感性を鍛えることだと思います。感性とは?私も非常に思い悩んだのですが、結局…

素直に感動出来る心

かなと。わぁ、素敵!おぉ、カッコイイ!すごく可愛い!ということを、包み隠さず、着飾らず、ストレートに感じ、そして表すことが出来るか。ひねくれず、斜に構えず。そうすることで、身の回りに潜む素敵な何かに気づきます。日の出って、夕焼けって、なんて綺麗なんだろう。隣に座った親子連れ、とても微笑ましい。近所のお祭り、勇壮でカッコイイじゃない。その感動を、素直に写真に撮る。どうすれば、素敵に残せるだろうか?と考えつつ。これを見せたら、人から褒められるぞとか、賞賛を浴びるぞ、とかそういう邪な考えでは、多分ダメですね。無心に、感じた事を、確実に残す。ふと思ったのだが、仏教の無我の境地に近いかも。ファインダーを除き、その中の景色に集中し、「残す」という行為に全てを注ぎ込む瞬間。ほんの一瞬なんですが、全ての感覚が集中し、その瞬間とシャッターが同期する。撮った写真を液晶で確認した時、「オオッ!やった!」って思う時が、ごくごくたまにだけど、確かにあるんです。山ほどシャッターを切っても、そんな瞬間は、ごくごくたまにしか無いですが、でもその時撮れた写真は、不思議なことに、確かに人に見てもらっても高評価なんですよ。ある意味、写真とは、心を鍛える趣味なのかもしれない、なんて思う今日このごろです。


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初版日時: 2014-08-20 (水) 00:51:13
最終更新: 2014-08-28 (木) 23:47:16 (JST) (970d) by maruo
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