1: 2014-08-20 (水) 00:51:13 maruo[5] [6] | 現: 2014-08-28 (木) 23:47:16 maruo[5] [7] | ||
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*いい写真とは? [#n4b0b45b] | *いい写真とは? [#n4b0b45b] | ||
- | いい写真、ダメな写真。これは~、難しい。これは、誰にとって、いい写真なのか?ということが変わってくる。自分にとって、いいのか?見てくれる人にとって、なのか、それとも…撮られた人(モノ)にとって、なのか…?写真の評価とは、とても主観的なので、見る個人によって、評価が変わるのですよねぇ。私がいいと思うものを、貴方がいいと思うとは限らない。講師の方はこう言ってました。「私が写真を撮るときは、撮られる人(モノ)を、より良く写そうと考えます。よりカッコよく、より可愛く、より素敵に。私が撮った写真を見て、撮らせてもらった人(モノ)は、喜んでくれるかな?私の魅力は、こんなものじゃない!て言われないかな?と考えながら撮ります。」深い言葉だと思います。 | + | いい写真、ダメな写真。これは~、難しい。これは、誰にとって、いい写真なのか?ということが変わってくる。自分にとって、いいのか?見てくれる人にとって、なのか、それとも…撮られた人(モノ)にとって、なのか…?写真の評価とは、とても主観的なので、見る個人によって、評価が変わるのですよねぇ。私がいいと思うものを、貴方がいいと思うとは限らない。講師の方はこう言ってました。 |
+ | 私が写真を撮るときは、撮られる人(モノ)を、より良く写そうと考えます。よりカッコよく、より可愛く、より素敵に。私が撮った写真を見て、撮らせてもらった人(モノ)は、喜んでくれるかな?私の魅力は、こんなものじゃない!て言われないかな?と考えながら撮ります。 | ||
- | ちなみに、私の持論は、一番は「撮り手の気持ちが写真に乗り移っているか?」が重要だと思っています。撮り手が感動していること。喜怒哀楽の感情が乗っていること。これがない写真は、どんなに綺麗でも、よく撮れていても、イマイチ伝わってこないと思うのです。 | + | 深い言葉だと思います。 |
- | そして、その感動を、技術を駆使して、どれだけより的確に残せるか?だと思います。つまり技術は無くても素敵な写真は撮れる。でも、素敵な写真をより良く残すために、技術がある。この順番を誤ってはいけないのだろうなーと。それらが一つに纏まった時に、初めて「この感動をくれる被写体を、どうすれば、もっとカッコよく、素敵に、可愛く残せるか?」が生きてくると思うのです。 | + | *自分なりに、咀嚼して考えてみた [#w01e5f6c] |
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+ | 上手い写真、いい写真。( ̄へ ̄|||) ウーム。うまい写真はよく分かりますよね~。技術的な話だし。いい写真。誰がみてもいい写真か。ちなみに、もうちょっと後日談があって。こうも言われました。 | ||
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+ | 写真って、好き好きだから。同じ写真見て、評価してくれる人と、評価しない人がいるよ。これはしょうがない。好みだから。でもね。まず自分がいいな、って思う写真じゃなきゃいけないよ。 | ||
+ | 例えば、料理人だってそう。同じ料理を好きって人もいれば、嫌いって人もいる。好みだからね。でも。自分が作る料理は、自分が美味しいって思った料理だから、人にも食べて欲しいものでないと。「俺はまずいよなーって思うんだけど、一応食べてみる?」なんて言ってる料理人から、そんな料理食べさせられるの、嫌でしょ?だから、自分が「これ、いいな!」って思う写真を見せる。これは礼儀だと思う。 | ||
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+ | いやぁ、ナルホドそのとおりだと思うっす。一番は「撮り手の気持ちが写真に乗り移っているか?」がってことかなと。撮り手が感動していること。喜怒哀楽の感情が乗っていること。これがない写真は、どんなに綺麗でも、よく撮れていても、イマイチ伝わってこないと思うのです。 | ||
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+ | そして、その感動を、技術を駆使して、どれだけより的確に残せるか?てことかなと。つまり技術は無くても素敵な写真は撮れる。でも、素敵な写真をより良く残すために、技術がある。この順番を誤ってはいけないのだろうなーと。それらが一つに纏まった時に、初めて「この感動をくれる被写体を、どうすれば、もっとカッコよく、素敵に、可愛く残せるか?」が生きてくると思うのです。 | ||
*最終的に重要なこと [#v4cd4633] | *最終的に重要なこと [#v4cd4633] |
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