生と死は表裏一体

4月 5, 2020

私は自分でいうのも何ですが、出会いと別れに対して不感症とも言えるところがあるように思ってます。ある種変人なのかもしれない。

と、いうのも、人が生まれ、私と出会い、そして別れる時が来る。ケンカわかれかもしれない。機会がなくなって袂を分かつのかもしれない。死別かもしれない。が、それは私の人生のなかの一連のプロセスの必要である、と考える節があり、機会があれば、またどこかで!っていうある種「See You Later!」て感じなんですよ。今生の別れって感覚があまりまくて。実際今生の別れなのかもしれんけど、そんなもん本とかどうかわからない。なんなんでしょうね。多分一般の人からはかけ離れているのかもしれん。別になんらかの感慨もなく、ただ一事象なんですよ。

僕ね。子供の頃は大家族でさ。3世帯同居の昭和な家族だったわけ。犬2匹、猫2匹とか普通に飼っててね。物心ついたときから、大学生くらいまで、ずっといたかなぁ。するとね。出会いって突然にくるの。いきなり家に迷い猫がくるとか、もらわれてくるとかね。で、普通に飼い始めるの。ペットをね。また、生まれでくる一族の子供の多いわけじゃん。いとこもいっぱいいたさ。するとさー。出会いの数だけ、別れもいっぱいあるのさ。

帰ってきたら、いつも見慣れた猫や犬が、いない。どうしたの?って聞くと

「今日、交通事故で突然ね…」「そう…」

「どこそこのおじいちゃん、亡くなったそうよ」「あそう…」

ある意味生も死も、すでに生活に同居している感じでなんら違和感もなかった。猫や犬の寿命は10年。寿命が来れば死ぬ。ときおり寿命よりもとても短くいなくなることもある。それはもうしょうがない。うちの実家には、亡くなったペットの墓がいっぱいあるですよ。放置しているわけじゃなく、ちゃんと弔ってね。

で、うちにはヤギも飼っててさ。ヤギの出産てのにも立ち会った。新しい命の誕生って、神秘的じゃない?だから子供ながらに立ち会ったのよ。ワクワクしながらね。ハイジのユキちゃんに会えるんだ、ってね。

夕方からヤギのお産は始まって、生まれたのがよる9時くらいだったかなぁ。透明な膜につつまれた全身羊水だらけのヤギらしき物体が、母親の産道から、足と頭からでてくるんだけどね。全身羊水と血まみれのどろどろした物体が、ベチャッと地面に落ちるんだ。最初はぴくりとも動かない。母ヤギがペロペロとなべて、羊水を拭き取って、徐々に子ヤギらしき物体になってくんだけどね。

小学生だった俺の思いは、悪いが「キモチワル」だったよ。えぇ?こんなふうに生まれてくるの?いやぁ…なんか感動の対面と違って、グロいわぁ…てのがね。

だから、そんなに生物の出産にも特別な思いがないのかもしれん。

そして、決定的だったのは、小学生のときに航空ショーで目撃した墜落事故かなぁ。華麗なアクロバットの最中に、一転暗転に包まれてね。遠くできのこ雲が上がっているのが見えて。華やいだ雰囲気からほんの30秒ですよ。そしてその後一人の有能なパイロットがこの世を去った。人間の一生なんて、まさに諸行無常なんだなぁと思い知らされた。

ながながと語ったけどね。今のコロナウィルスね。ある確率で、生命がおびやかされる疫病じゃないですか。なんか思うの。疫病ってね。平等だなぁと。金持ち、偉い人、貧乏人、愛された人、どうでもいい人。別け隔てなく平等に、死をもたらすんですよ。今までここまで「死」を意識するような事象、日本にありました?

でもね。

不謹慎かもしれんけどね。これが、この世を生きるという現実を見せつけていると思う。死と生は表裏一体なんだよ。生命は生まれ、生き、そして何らかの原因で死んで一生を終える。それが、もしかしたら今回のコロナなのかもしれないけどね。

でもさ。思うのさ。「もしも私が愛するだれかとか、一緒に夢を叶えるために必要だったパートナーが、ふとこの世からいなくなったら、どうなるんだろう?」それを痛烈に考えさせられたのは、少なくともこの戦後70年以上の中で、初だったんじゃないかな。そして願わくば、自覚して欲しい。

今までが例外だったのだ

と。昔はさ、乳児死亡率だって0%じゃなかったし、何人か成長過程で死去することもあたりまえだった。寿命だってね。志村けんさん70歳で死去されて若いっていわれたけどさ。70歳で死去なんて、40年前は普通だからね…?

だからさ。今まで死という事実をろくに考えてこなくて済んでたわけで、「死とは身近にあるんだ」ということを知った上で、「何をなすべきか」を本当に、本当に、真剣に考えないといけないんじゃ、ないかな…どうでしょうか。

さて。もしもだけどね。俺がこの病気にかかり、1ヶ月不稼働になりました。間違って残念ならが目的半ばで逝くことがあったとするじゃない。

…どうなるんだろうね。何かが影響うけるのかね。それとも…特に何事もなく平穏無事に世界は過ぎていくのかな…それは気になるなぁ。何か歴史に変動があるならば、俺の存在が世界に影響を成すなにかだった証になるのかねぇ。なんて考えたり。したりしてます。

posted in マイライフ by maruo

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