クジラの子らは砂上で歌う

1月 12, 2018

また1クール遅れで、先クールに放送されたアニメを見ているのですが、面白いですね~。
私なりの解釈で、ちょっと感じたことを。作者の意図とは多分違うと思いますが、そこはご勘弁。

砂の海を渡る船。泥クジラ。それは都市を載せた大きな船であり、そこに住まう人たちは、泥クジラ以外の世界を知らず、船の中で一生を終えていく人々。そこに、ある時事件が起こる。砂の海で、別の船に出会い、リコスという名の少女を見つける。連れ帰ったリコスを、泥クジラの長老たちは拒絶する。
それから程なく、泥クジラは謎の船団の襲撃を受け、無慈悲な大量虐殺に合う。リコスが全ての謎を明かす。

謎の船団の正体は、「帝国」。泥クジラは、100年以上前、帝国から罪人と認定され、砂の海に漂流の刑に処される。
リコスは、泥クジラ殲滅の命を帯びた帝国の司令官だったが、帝国と敵対する別の国との戦闘に巻き込まれ、リコスを残して全滅したのだった。

そして、リコスは更なる戦慄の事実を告げる。帝国は泥クジラの殲滅を意図し、4日後に更なる襲撃を行うと…

このお話の中で、泥クジラを束ねる長老たちは、泥クジラを沈め、全一族の集団自決を選択する。
若者たちは反発し、自らの生き残りをかけ、帝国と戦うことを選択する。
長老の一人は言う。「戦うことを選んだということは、子供たちは明日人を殺すかもしれないし、殺されるかもしれない。その道を選んだのだぞ」と。

私は思った。

泥クジラは、まさに今の日本と同じじゃないの?

と。外界から隔絶された、狭い島国のなかだけしか知らない人たち。そのなかで一生を終えていく人が大半。反戦を叫び、人を殺すくらいなら自ら死を選ぶと言う。
多分、この物語を見たならば、長老たちの選択は間違っている。生きるために戦う道を選ぶべきだ、と誰もが言うでしょう。
だが。いざ自分の身に降りかかるならば。ほぼ長老たちと同じ選択をするのです。なんでなんだろうね。

この作品、今の日本の平和ボケを痛烈に批判しているのではないか、と思うのは私だけでしょうか。生きること、そして自由で有り続けることは、当たり前の権利ではなく、覚悟を持って勝ち取るものである、と言う事実を理解していない我々に、世界を理解し、どうするべきかを自分の頭で考えろと、訴えているのでは無いかと。

と、書くと、深読みしすぎだとご指摘を受ける向きもあるかと思いますが、それぐらい深いテーマではあるよなぁと、思うのデス。

posted in マイライフ by maruo

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