自我ってなんだろう?

11月 11, 2017

AIは人間同様になるのか?という記事を書いた際に一緒に考えたことなのですが。

AIは自我を持つのか?

ということもふと考えました。で思った。

自我って何よ

私が思った自我とは。平たく言うと、自分と他人の違いを認識するということでしょうか。そして、他人ではなく、自分が何かを成すという意思を持つと言うことが人間で言うところの「自我」なのかなと。
ちなみに、この定義だとすれば、自我を持たない人もいっぱいいるんだろうなぁ。

  1. 他人の意見にひたすら付き従う人(イエスマン)
  2. 自分の意見を他人に押し付ける人(ワンマン)

両方共、自分と他人の区別ができていないという意味では自我が無いということなのだろうなと。
さて。ではAIは自我をもつ「べき」なのか?
道具という立場で言うならば…自我は要らないわけです。イエスマンであればよい。忠実に主の命を実行しさえすればよい。

さて、AIに求める機能として、イエスマンであれば良いのか?と言うとどうなんだろう。人間は間違いを犯すものである。システムはこの間違いを補正するものとして進化してきました。つまり、人間の意思決定を支援するもの。ときには意思に反する決定をすることもあるということ。本当に賢い(インテリジェンスである)と言うことは、時には意思に反する覚悟も持ち、確実な判断を下すことも厭わないモノが必要とされると思うのデス。多分、組織の多様性という意味では、人間であっても仲間に欲しい人材であると考えます。

と、いった意味では、

AIに自我を持たせることは、必要である

と考えます。

が…ここでさらにふと思ったこと。AIに求めることが、多様性であるとするならば。多様性を受容しない組織には、きっとAIなんて使いこなせないんじゃないの?という事。
当然AIが人間の意思と異なる判断を下すこともあるわけで、それを検討しようとするか、バッサリ切って捨てるか。それは反対意見を受け入れるかどうかであると考えると…固まった組織では、絶対ダメだろうなと。うちみたいな(笑)

posted in コンピュータ, マイライフ by maruo

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