遅ればせながら、戦後70年を考える

8月 23, 2015

今から70年前、日本は超大国アメリカと戦争をしていた。そして、多くの人命が散っていった…

この時期、必ず語られる戦争の事実と、玉砕、特攻で散っていった方々の事実。決して風化させてはならない事であるとともに、私はこの時期、生と死について考えます。

私は、死についてこう考えます。私も含め人間は、必ず死ぬ。この世からいなくなる。これは紛れもない事実。なので、この生、そして体は、一時的にいろんなリソースを宇宙から借り受けて生かしてもらっているのだと。なので、いつか死んだ時は、借り受けたものをお返ししないといけない。なので、一番理にかなっているのは、骨も含めて全て海に撒いてもらうのが一番なのかなぁ~と思ったり。そしてその私を構成していた色んなモノが巡り巡って、いつか何処かで使われる。それが輪廻転生なんじゃないのかな-とか。

なので(実際にその場になったら分からないが)、私自身は、基本そんなに死というものには抵抗はない。死も人生の一部であると。ただ、一つだけここだけはこだわりたい。私の生、そして死には、何か意味があったのだと。無意味な生、そして無駄死だけはしたくない。私には意味がある。ならば喜んで逝こう。そう思えるのではないのかなぁと。

なんでこんな事言うかというとね。約300万人、第2次大戦で亡くなっている。その戦没者の方々は何故死に向かえたのか。戦争をしている日本がもし負けたら、きっと日本は、ひいては家族は悲惨な事になる。そんな目に合わせないために、自分が犠牲になることで大切な人たちを守れるならば、という想いだったのでは、と。自分の死で大切なものを守れるならば、自分の命には意味があると。そう信じて戦地に向かったのだろうなぁ、と。

と考えた時。今の日本、今の我々は、その方々の想いに答えられているだろうか?あなた方の犠牲は無駄ではなかったよ、と胸をはって言えるだけの生き方をできているだろうか?といつも問います。

そして…私は次世代のために、何かできているだろうか?私は、私自身の命に意味をもたせているだろうか?と。ちょっと変わった視点かもしれませんが、私はこの時期、毎年自分の人生を見つめなおす日としています。

posted in マイライフ, 時事ネタ by maruo

Follow comments via the RSS Feed | Leave a comment | Trackback URL

Leave Your Comment

 
Powered by Wordpress and MySQL. Theme by Shlomi Noach, openark.org
ページ内検索

ログイン

ユーザー名:


パスワード:





パスワード紛失

メインメニュー

サブメニュー
自宅鯖計画

Gentoo Linuxな生活

玄箱HGにGentoo格闘記

航空ショーへ行こう

モータースポーツな世界

奥深き写真の世界への誘い

我思う ゆえに我あり



携帯用QRコード