彼らの残酷さの定義が良く分かりません。

5月 25, 2015

全国の水族館、追い込み漁のイルカ入手不可能に イルカショーに支障も WAZAの改善勧告受け入れへ

追い込みイルカ漁の映画にて、和歌山のイルカ漁が残酷だと非難され、全世界から叩かれ、ついにはこんな事まで…。このヒステリックさは、正直意味不明ですね。
なんでイルカ/クジラだけ、こんなに議論されるんでしょうね。イルカ/クジラは賢いから、とか言うわけですがね。じゃあ、賢くない動物なら殺そうが食おうがいいのか?そもそもクジラやイルカが賢くて、牛や豚や鶏が賢くないと、いつ判明した?そもそも牛や豚や鶏が大量殺戮されるのはいいんですかね?

彼らの理屈では、食用に飼育される牛、豚、鶏は、食べられるために生まれてくるのだからいいのだ、というわけのわからない理屈だったりします。では、こういう論理はどうだろう?

奴隷として使役される目的で産み落とされた人間は、奴隷でいい

何かおかしいよねぇ。人間は別?それまた意味不明。大体、肉を食べることを嫌うベジタリアンの大多数の理屈も意味不明。殺生は良くないからだそうで。おいおい

植物に命は無いといつ決まった?

動物だろうが、植物だろうが、命はあるだろうがよ。そういう、ある特定の動物だけ特別扱いという考え方自体納得出来ない。人間(というよりも生物)は、他の生命を食らって生を得ているという事をもっと認識すべきだろうと。だから食べ物も大事にしないといけないし、無駄にしてはいけない、という謙虚な気持ちが生まれるのではないかと思うのだが、如何だろうか。

イルカやクジラ、絶滅危惧種だけが特別ではなく、全ては等しく命であり、食物として頂ける事に感謝する、無意味な乱獲は控えるという、ごくごく普通の謙虚な気持ちを持つってことが、様々な問題を解決するカギだと思うんですけどねぇ…間違ってるかしら…?

posted in マイライフ, 時事ネタ by maruo

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