女子高生友人殺人事件の異常性に、ふと思う

7月 31, 2014

巷を賑わせています、女子高生による友人殺害事件。女子高生が友人を殺すという構図もともかく、遺体を切り刻み、しかも反省の意思も見せないという猟奇さにも、異常性がにじみ出ていますね…
で、世間の一般的反応と言えば、なぜこんな異常な行動に…という、大多数の普通の人達の、理解できないという意見が目立ちます。もちろん普通はそうでしょう。自分が理解する一般常識の枠の外にある概念が理解はできないのが当たり前だと思う。だから、人は他人を理解できないし、文化の違う異国の人とはもっと理解できない。

と、いう意見の中で、最近評判悪い(笑)フジの「とくダネ!」に出演されていた、中江有里さんのコメントが、ナルホド!と思うことでした。中江さん曰く、

誰しも、大なり小なりの幾らかの異常性は持っているものだ。だが、その異常性に基づく行動を行うか、行わないかという基準は別である。何故彼女は、彼女自身が持つ猟奇性を止められず、行動するに至ってしまったのか?

あぁ!そうだ!

言われてみれば、忘れていたことだった。人は誰しも、光と影を併せ持つ存在だった。困っている人を助け、思いやり、譲り合い、ともに喜ぶ光の一面もあれば、妬み、嫉妬し、憎しみ、呪う、そして傷つけようとする、影も持っている。誰もが光を善だと思い、影を悪だと信じ、善なる行動を取りたいと思いながら、悪の道へと入っていってしまう人もいるではないか。

いや、そもそも光と影など、いつ決まった?いつ決めた?いつそうだと我々は学習した?思いやりの行動も、憎しみ、恨みの感情も、なにも価値を決めないならば、ただ、それだけのこと。ではなぜ、光と影に分離したか。光とは、人間が集団で行動する際に、大多数にとって有益だから。影は、大多数にとって不快な感情を与えるから。だから、そう分けたに過ぎない。

例えば、私が子供の頃、同じく小学生低学年ぐらいだった同級生の間では、ザリガニ釣りや、昆虫採集がブームでした。いやぁ、時代が分かるよねぇ。ゲームやネットなんてなかったから、そういう魚や虫と戯れるのが遊びだったんだよね-。
だが、思い返して欲しい。子供って…とても残虐ではありませんか…?私がそれぐらい小さかった頃、田んぼのあぜ道に、数10匹のバラバラにされたザリガニの死体が散乱しているところが、いたるところにありましたよ。そこでは何がやられていたかというと、

  • まずザリガニを1匹釣る
  • そのザリガニをバラして、身を取り出す
  • 取り出した身で、またザリガニを釣る
  • 釣ったザリガニを…以下繰り返し

何故そんなことをしていたか?ザリガニは、共食いしてひょいひょい釣れる。そのバカさ加減が面白い、といって放課後日が暮れるまでずーっとやってるのですよ。オジサンにはその意味が全く分かりませんでしたが。また、苦労して取ってきたカブトムシやセミを、バラしてみたり、カエルに爆竹仕掛けて爆発させて笑ってみたり。子供って、ほっとくとそーいう事を面白がってやるんですよ…

で、大人が、それを見て怒る。生き物には命がある。その命で遊んじゃいけない。命を大切にしよう、ってね。だから、ペットを愛でるとか、生き物を殺すってのは残虐だ、という意識を学習するわけよね。

さて、ここで、友人を殺してしまった彼女の意識に戻ってみましょう。彼女は、人体の解剖に興味があった、と供述しているとのこと。さて、彼女にとって、殺してしまった友人が、先ほどの小学生におけるザリガニや昆虫やカエルと同等に思われていたとしたら…?つまり、自分以外の生命は、そういう価値しか無いという、子供の倫理観と同等だったとしたら?彼女は、友人を殺し、解剖した事を罪だと考えるだろうか?

ここで考えられること。

  • 彼女には、自分以外の生命を尊いと考える概念は元々学習されていないのだろう
  • そこに、友人との軋轢があり、タガが外れてしまった→めんどくさい他の生命は排除すればいい→漂白剤混入という事件を起こす
  • そのタガをかろうじて抑えていたのは、彼女が自分以外で唯一尊いと考えられた、母親の想いだったのでは。なのでかろうじて社会生活ができていた
  • その母親が急死→親父の再婚→親父は尊い存在を踏みにじった

彼女の本来の考えを止めるはずの母親は、もういない。

「排除すればいいじゃん」

父親を排除する行動になり、手に負えなくなった父親は、家から追い出し、行動を抑制されなくなった彼女は、興味のままに死体を入手し、興味本位で解剖してみた。

と、したら…?

ここから導き出されるのは、彼女の精神構造は、幼児のそれと大して変わらないのでは、ということ。じゃあ、なぜ、日本という国における人間としての基本的な行動原理が学習されなかったのか…??

実は、もっともっと根深い何かが潜んでいるような気がします。父親は地方の名士だといいます。母親も教育関係のボランティア活動を熱心にしていたといいます。お互い忙しかったんだろうなぁ。幼児期、彼女は、どんなふうに、誰が、育てたんだろうね。
ほれ…今、男も、女も、働ける社会を、と言って、父親、母親共稼ぎで、1歳過ぎから保育園預けたりとかって環境を整備すべきだなんて話があるけどさぁ。ここでどんな意識付けが、されるんですか、ねぇ…それによっては、父も、母も、想像がつかないモンスターが、育つ可能性だって、あるんじゃ、ないのかなぁ…??だって、保育園だって、一人の子供をず~っと見てるわけではなくて、多数の預かった子供をまんべんなくみてれば、放置プレイな時間もそれなりにあるんじゃないかと思うんだ。これは、子供の数に対する先生の数を考えれば、すぐにわかると思うんだ。

少子高齢化を抑止するためには、社会に復帰しやすい法整備を、と叫ばれているけど、ホントにそれで、いいのかなぁ?そういう所に、こういう問題がちらほら出始めている一端が、あるのでは、ないのかなぁ。なんて考えたんだけどね。考えすぎ、ですか?そうですか。

posted in マイライフ, 時事ネタ by maruo

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