ブルーインパルスで一番好きな演技

6月 24, 2014

_DSC0007_10_8,0_1500_200_090823_134706
私が、ブルーインパルスの演技の中で、最も好きな演技。それはレインフォールです。
なんでまた今頃こんな話を書くかというと、ついこの間、やっとT-4ブルーを作った男というDVDを見て、さらにBlue is BlueというDVDの中の話を思い出したからです。

T-4ブルーがデビューしたのは、確か1996年。もうかれこれ18年前なんですね~。その前に、ブルーはT-4準備班というチームで、アクロバットの訓練を積んでおりました。その訓練最中の、当時レーザーディスクを購入しまして、早くこの目で見たいと想いを馳せておりました。新たなブルーの演目のなかで、私が最も驚愕した演技、それがレインフォールなのです。
まぁ、一般的にはスタークロス、サクラ、バーティカルキューピッド等の描き物がT-4ブルーの特色であり、オリジナルなのですが、比較的オーソドックスなレインフォールに何故驚愕したか、というと…

T-2ブルーインパルス時代に封印された下向き空中開花を復活させるのか、というチャレンジ精神にです。今を去ること30年以上前、T-2デビューイヤーの1982年。浜松での航空祭の最中に下向き空中開花で4番機が墜落事故を起こすという、ブルー史上最悪の事故が起きました。パイロットは死亡、一般市民にもけが人が発生し、本当に最悪の事態は逃れられましたが、ブルー解散の危機が現実となる事態でした。当時のメンバー等の努力により、解散は免れましたが、演技の安全性が見直され、最低高度は高くなり、正直かなり迫力は下がる結果となりました。また、事故を起こした浜松では、住民の強硬な反対運動も起こり、航空ショーでT-2ブルーは飛ぶことはあっても、「浜松スペシャル」と呼ばれた、編隊航過飛行のみで、アクロバットは封印されました。また、私個人的には、T-2ブルーでのフルショーを見たのは、浜松での演技(事故発生で中止となってしまいましたが)が最後であり、それ以降T-2が解散する最後まで、ついに第1区分を見ることは出来ませんでした。事故当時小学生だった私は、それ以来ずっとT-2ブルーを追い続けましたが、T-2が解散する年に25歳。浜松、入間、百里でショーを見ることが精一杯で、そのうちどれもが曇天、晴れても浜松だけでした。事故を目の前で見たショック、そして浜松で飛ぶ際は、強硬な反対デモが行われ、機動隊の厳重な警備の中の航空ショー。かつてF-86Fブルーが舞う空を見上げたごく当たり前の日常が、二度と見られなくなった悲しさ、そしてかつてのホームベースがあった浜松の地で、ブルーが拒否された悲しさがついて回っていたのです。もう一度、ブルーが華麗に浜松の地を舞う姿を!という願いは、T-2の間ついに叶う事はありませんでした…

そしてT-4の演技をビデオで見た時に、

下向き空中開花を復活させるのか!

もう二度と行われることは無いだろうと思っていた私は、正直画面に吸い寄せられました。しかし、よく見てみたらば、ループ後方へのブレイクは無い。そりゃ、そうだよね。そのまま再現はないよね。でも、それでも、それを演技に加えてくれたT-4ブルーに勇気と尊敬を感じずにはいられませんでした。よくよく調べてみると、T-4準備班のメンバーには、田中光信2佐(当時)、塩沢信行三佐(当時)いずれも、T-2ブルーの元メンバー。田中2佐は墜落事故時、6番機に乗機していたパイロット。T-4で汚名返上をと願っていたのではないかな?と思います。また準備メンバーの1名小倉貞男三佐(当時)のインタビューでも、こう語っていたのを思い出します。

一番思い入れがある課目は、レインフォールです。T-2の時代にね、事故を起こしてしまった。下向き空中開花でね。だから、もう2度とあの演技は出来ないんですよ。でもね、なんとか違う形でも下向き空中開花をやりたい。先輩方の無念を晴らしたい。だから、あの課目だけはどうしても入れたかった。外せと言われても絶対譲らなかった。だから、一番思い入れがありますね。

私は、とても目頭が熱くなりました。完全な復活をT-4の代で遂げたいという強い思い入れ、心意気に。脈々と続くブルーの伝統を重んじる精神に。そして、1995年、百里の航空観閲式で、T-4,T-2の共演。初めて見ました。曇天ではありましたが、フルショーを演じきったT-4に、新しい時代が来ると期待に胸を膨らませたものでした。

ただ、1996年にデビューしたT-4ですが、それでも浜松では相変わらずの反対運動。航空ショーでは「浜松スペシャル」以上のことは行われず、落胆しました。まだ、ブルーの完全復活はできないのかと…無念でたまりませんでした。

1997年?98年?ブルーは着実に進化を遂げ、北米遠征等の輝かしい活躍を行いながら、ついに浜松でアクロバットを披露する、と大々的に地元で報道されました。当時、浜松では、相当な動揺が走ったのは事実。変わらずの反対運動、至る所の電柱に、ブルーの飛行反対の張り紙が貼られており、やはり厳戒態勢でのショー開始となり、私は「何事も起こりませんように」と祈らずにはいられませんでした。
ダイヤモンドテイクオフ、ダーティーターン、ダーティーロール、ローアングルキューバンと順調に演技をこなすブルー、そして観客の歓声と拍手に胸が熱くなりながら、心のなかでは、お帰り、ブルーと、誰も聞いていないのにつぶやかずにはいられませんでした。そして、ちょうど中盤の盛り上がり。天高く上昇していく5機の編隊。ループ頂点でスモークONし、下降に入る。

ブレイクレディ、ナウ!

5機が傘を広げ、5方に散っていく。「オオッ」というどよめきが周囲に響き、レインフォールが開ききった後、歓声と拍手に包まれたその時、私は本当に涙が出ました。ついに、完全復活を遂げたんだなと。T-4ブルーの一つの目的は今達成されたのだ、と思ったのを思い出します。無事に演技を終え、機体から降りたパイロットに、割れんばかりの拍手喝采が響いたあの日を、今でも思い出します。
そして…かれこれ18年、幾度と無くブルーのフルショーを見てきましたが、この日のブルーの演技が、私が今まで見た中では最高の出来だったと(ブラシーボ効果があるかもしれませんが)思います。演技の出来もパーフェクト、課目と課目の間のタイミングもパーフェクト。素晴らしいショーでした。不謹慎かもしれませんが、これ以上ない最高の供養になったのでは、と、そう思わずにはいられませんでした。

そのショーを堺に、反対運動もぱったりと収まり、今では浜松でも普通にブルーのショーが見られます。T-4の時代も長くなり、F-86での期間にもうすぐ迫ろうとしています。T-4からブルーのファンになったという層も多いと思いますし、そんな苦難の時代があった事もご存知無い方々の方が多くなったのかな?でもそれは夢と希望を与えてくれる、ブルーの姿に戻ったのだと歓迎したい。

_DSC0017_24_F14_S1000_ISO200_100822

そして、ブルー創立50周年を期に、レインフォールは、サンライズへと変更されました。昇る朝日のように、上を向いて上昇していくんだ!という思いの表れなのかもしれません。でも、私は、サンライズよりもレインフォールの方が好きだし、思い入れも強いんですよぅ。見ること出来る機会も減ってしまいましたが、こんなオールドファンもいるのだ、という事で、是非ともどこかのタイミングででも、披露して欲しいなぁ。

posted in マイライフ, 飛行機 by maruo

Follow comments via the RSS Feed | Leave a comment | Trackback URL

Leave Your Comment

 
Powered by Wordpress and MySQL. Theme by Shlomi Noach, openark.org
ページ内検索

ログイン

ユーザー名:


パスワード:





パスワード紛失

メインメニュー

サブメニュー
自宅鯖計画

Gentoo Linuxな生活

玄箱HGにGentoo格闘記

航空ショーへ行こう

モータースポーツな世界

奥深き写真の世界への誘い

我思う ゆえに我あり



携帯用QRコード