S~最後の警官~を見てみた

5月 9, 2014

今頃ですが、先クールにやっていたドラマ S~最後の警官~ を見終わりました。録画してあったんだけど、ず~と放置だったんだよね(笑)
おいちゃんは、こちら原作の漫画も持っていて、好きな話だったので、ドラマも期待してみてみました。ん~、原作と少々設定がずれていたりするから、主人公一號の「犯人の命も守りたい!」って言葉が、微妙に軽かったりするんだけども~、いろいろと考えさせられるドラマでしたね。

おいちゃんなりに考えてみたことをすこーし。犯罪者と被害者の命、もしくは人権問題に切り込む事が、このドラマの一つのテーマのように議論されてましたね。主人公一號、蘇我、ゆづるの間で。各登場人物毎に見解はバラバラ。一號は誰も死なせたくない。蘇我は、犯罪者は断罪されるべき、ゆづるは、一號と犯罪者の命を選択するならば、犯罪者は死んでも一號には生きていて欲しい。すごーく難しい問題ですが…多分、誰の意見も、間違いではない。多分、ある事件に巻き込まれた際に、引きずるそれぞれの傷によって生まれる、異なる解釈なのだろうね、と思う。

では、おいちゃんだったらどうだろう?と考えてみる。もしも。
もしも、自分の親族、親、兄弟、恋人、子供、友人、恩人など、守るべき存在が、理不尽に陵辱され、惨殺されたとしたら。何もかもを無くし、たった一人取り残されたとしたら。そしてそれが、人の手で行われた犯罪で引き起こされたとすれば。その時。おいちゃんは…その犯人が死に貧している時、彼命を救うだろうか?生きている間終わることの無い、どうにもできない憎しみと悲しみを一生抱いたままは嫌だ、と思ったとしても、その犯人を許す境地においちゃんは立てるだろうか?

正直、想像もつかないことではあるのだけども、多分普通の人が向かう道へおいちゃんも向かうのだろうと思う。

  • 犯人を憎み、殺したいと願う。一生憎しみと恨みと悲しみを抱いて生きるか
  • 現実から逃げる。死か、宗教か、それとも自分に閉じこもるか解らないけど、現実の苦しみから逃げ出し、何かにすがりたいと願うか

多分…気が狂わなかったとしたら、どちらかでは無いかと思うんだよね。このドラマの中でも、実は最も現実に近いのは、蘇我の意見だと思うんだよね。全員生かしたいなどキレイ事だ。大事な何かを失うことになっても、それでも犯人を助けるのか?と。今世界で沸き起こっている戦争、テロリズム、国際紛争。この悲しみの根幹は、多分ここにあるんだと思うんですよ。きっかけは何が先だったのかはわからないが、多分彼(彼女)を絶望のどん底に突き落とす何かが起き、そしてその人々の想いが集まり、大きなうねりとなっているのだと。そしてその絶望を、大いなる慈悲の心で許せる程、人間の心は広くないんじゃないか、と思う。
過去に、傭兵を生業にしている日本人の方の本を読んだ事があるのだが、人の命の重みは違うし、毎日虫けらのように人は死んでいく。それが世界の現実。人類平等とか叫んでいる人道主義者の理想論には反吐がでる、と書かれていたと思った。ものすごく悲しい事ではあるのだが、多分、それが現実、なんだよね…

いろいろ自分なりに考えてはみたけども、正直おいちゃんには分からない。理想は確かに理想。誰も傷つかない世界が理想なのはわかってる。でも、世界のどこかでは絶望を生む行為がたしかにあり、それによって心に大きな闇を抱えざるを得ない人もいる。その人達の心の闇を残念ながら私は理解しきれないし、理解していないおいちゃんが、その人達についてどーのこーの言うのは、とても無責任だと思う。だけども、癒やす事位はなにかできないだろうか。助けることは何かできないのだろうか…なにか、そういう事を考えずにはいられないような、ちょっと重い作品でした…

posted in マイライフ, 映画 by maruo

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