負けたのに「いい思い出」はありえない??

2月 12, 2014

「負けたのにヘラヘラと『楽しかった』はあり得ない」 竹田恒泰氏の五輪選手への「注文」が賛否両論

さて…結構過激な発言ですね。かなり賛否両論を呼んでいるようです。さて、ここでオリンピック選手に対しどれほどの国費が投入されているか、ということについては、この辺に解説がありますが、国の予算で25億、オリンピック自体に1億といったところらしい。これが、多いか、少ないか、といった所にはあえて言及いたしません。

私は、あえて一般的な資本主義的な考え方にてアプローチしてみます。
我々は、働いて(労働)、対価を得て(給料)、生活をしています。働いたから、お給料もらえるのは当然じゃん。これ、ほとんどの労働者の一般的な概念だと思うの。時給900円だとしたら、8時間働いたら7200円もらえて当たり前。これは時間給の概念ですよね。ですが、本来この考え方は、逆なはずなのです。あなたのOutputには7200円の価値がある。だから7200円払う。もちっというと、7200円をもらったからには、7200円に見合うアウトプットを出す義務が発生するのです。これがプロであり、資本主義でいう契約なわけで。これだけの結果を出します。そんな私に幾ら出してください。なんだよね。

いくらかでも国費が投入され、そのお金で何かが行われたのであれば、支払われた分に対するOutputを出す義務は発生したのですよ。スポンサーである国民がOutputを望んだのであれば。もちろん、国民が、いいよいいよ、結果でなくてもよく頑張ったね、で納得すればいいのですが、果たして、全員がそうかな…???

そんな恩着せがましい事を言うのならば、プロでは無い競技大会から、スポンサーなんて排除すればいい、という人たちもいますよね。じゃあ、全てが自費で出場するとすると、どれだけの費用がかかるか、ってことですよ。多分、一部の特権階級しかオリンピックには参加することができない、ブルジョワの大会になることは間違いない。スポンサーがいる=スポンサーは結果を期待している。結果が出なければ、スポンサーは結果を出す選手に切り替えるだけだ、と言うことだね。

いいじゃない、結果出せない選手は、次の大会で落とされるだけだし。そうとも言えるかもしれない。が…もしも練習に強くて、本番だけ弱かったとしたら?そのオリンピックで負けた選手のために、代表枠に入れなかった選手の気持ちは?その彼(彼女)は思うかもしれない。「私が出ていれば、もっといい結果が出せたはずなのに」。そういう思いも背負って頂点にいるのだと思うのだよ。だからこそ、色んな所に対して、結果を残す義務を負ってしまっていると思うのだよ。

「国費を投入したのだから」という言い方の妥当性はさておき、国、というかみんなの期待を、望むと望まざると背負ってしまった以上、ある程度応える義務はできてしまうのは仕方が無いと思うのだよ。それはさ、一般社会の常識なのよ。位が上がると、それに伴い結果も要求される。結果出せなきゃ干されるだけなのよ。それに耐えられないなら、その場所から降りるしかないと思うんだよね。スポーツの世界は、もっとシビアに順位が付けられちゃうから、一般社会よりももっと厳しい世界だと思うんだけど、違うのかねぇ?おいちゃんの考え方、ドライすぎるかなぁ?

posted in マイライフ, 時事ネタ by maruo

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