終戦の日に、戦争と平和について考えてみる。

8月 16, 2013

今年は終戦68周年。日本がアメリカと戦争を繰り広げたのも、70年近くも前になってしまったのですねぇ…またこの時期、TVでも終戦特番を流しております。池上彰の戦争を考えるSP、世界仰天ニュースなどを私も見てみました。それを見ながら考えたこと。終戦の日に、改めて戦争と平和について考えてみたいと思います。

かつて80年前。日本は中国に対し戦争を開始しました。日中戦争ですね。その避難の急先鋒がアメリカ。アメリカに補給路を絶たれたため、東南アジアに向けて石油などの確保のために戦線を拡大します。ついにアメリカからの最後通牒(ハル・ノート)。追い詰められた日本は、アメリカに宣戦布告。真珠湾攻撃を行い、太平洋戦争へと突入していきます。

今から考えれば、あまりにも無謀な戦争だったと言えるでしょう。が…果たして当時の日本としてはどうだったのか?日本は515事件、226事件などの軍部クーデター事件で、徐々に軍国主義へと変貌していきます。国家総動員法が施行され、それこそ国を上げて戦争を遂行する事が至上命題だったわけです。それに、当時の国際連盟を日本は脱退するわけですが、この国連脱退を、日本は、というかメディアは諸手を上げて歓迎したそうです。つまり、軍部とメディアは結託し、日本を戦争へと突き進めていたわけです。そんな時勢の中で、日本を追い詰める最後通牒がアメリカから来た際、どのような世論だったのか。『アメリカなんてやっちまえ』という論調ではなかったのかと考えます。その世の中の動きを誰か止めることができたのでしょうか。小説、永遠の0の中でも、特攻をテロだと批判する新聞記者へ、元ゼロ戦搭乗員は言います。『その特攻を、戦争を煽ったのはお前ら新聞だ。そんなお前らに我々を批判できる権利はない』。池上彰さんの番組も、メディア報道についてだったのですが、やはり当時の報道メディアは、こぞって戦争賛美だったと言っています。むしろマスコミが扇動していたと。そうすれば新聞が売れるから。所詮私利私欲に走った結果だといえるでしょうね…ここに一つ、大衆心理の狂気という構図が見えてくると思います。やれやれ。もっとやれ。ここまでやったんだから、全滅するまでやめないぞ。まさに失敗するとわかってるのに止めることができないデスマーチ開発を見ているようです。
そして、この戦争で、日本は中国、朝鮮半島、モンゴル、東南アジア、南方諸島も占領したわけですが、この中で中国、朝鮮のみが今でもむき出しの敵意を日本に向けています。他の国では和解も成立し、むしろ日本に対する好感度も高いにも関わらず、この2国(正確には3国か)のみ。何故なのでしょう。この2国以外は、日本占領下での文化の流入で、近代化の道が開けたということです。つまり日本が来たおかげで、生活レベルが向上した、ということ。その他2国はすでに文明(王朝?)を持っていた国。だからこそ、国家を蹂躙された、という意識が強かったのかもしれない。また、朝鮮や中国の人たちは、2次大戦前から占領地だったということも有り、労働者として連れて来られていた人も多かったのでしょう。この当時の日本の人たちはもしかしたら朝鮮、中国の人たちに差別的だったのかもしれん。うちの親(昭和一桁生まれ)は、朝鮮人等に対する差別的意識が半端無かったのを覚えてます。当時小学生だった私が、何故同じ人間なのに差別するの?と素直に聞いたぐらい。子供の私から注意されたことをきっかけに、そういう差別発言は口にしなくなりましたが、昭和10年台当時の日本人の総意はどうだったのでしょうね。もしかしたら相当な差別を受けていて、それを今でも根に持っているのかもしれん(が、今の反日運動は度を超えているとは思いますが…)

さて、この中国・韓国での反日運動。もっと一般的な言い方をすると民族問題と言えると思います。今世界で多発してる内戦、紛争。これらは民族、領地の紛争が全てと言っても過言ではないのでは。1989年のベルリンの壁崩壊、ソビエト連邦の解散によって、東西冷戦が終結し、平和な世界が訪れると(当時の人達は)誰もが夢見たはずです。私も。ですが、それまでソビエトが政治で押さえつけていた民族問題等が一気に日を噴出し始めます。もう覚えていない人たちも出てきているであろうボスニア・ヘルツェゴヴィナ紛争。それまでユーゴスラビアという単一国家で生活をしていた人々が、ソビエト崩壊によって民族運動を起こし始めます。結果、セルビア人とムスリム人の対立が激化し、昨日までの隣人を、銃を持って殺戮するという凄惨な内戦へと発展しました。ムスリム人が始めた政治デモに、セルビア人が発砲した事に端を発したのです。たった1発。それだけのことで簡単に平和は崩れ、人々は憎しみ合う状態へと突入してしまうのです。
アフリカで発生している内戦、ジェノサイドも、結局は民族紛争です。1994年にルワンダで発生したフツ族とツチ族の民族対立でした。このルワンダでの民族紛争の悲劇は、そもそもフツ族もツチ族も、人種、宗教に違いは無く、ヨーロッパの植民地時代に現地人を結託させないために強制的に民族を分けてしまったことに起因している、という事実。つまりね。人って、言語、人種、宗教、言葉…そういう、集団の固有の違いというもので、いがみ合うし、たった1発の銃弾。誰かを傷つけたという小さな事実から、巨大な紛争へと発展してしまう危険を秘めているということ。

人間の最も根本の行動原理を見ればわかる。それは子供。子供は純粋だ、天使だなどといいますが、私からすれば、最も元来の生物としての人間の行動原理を体現しているむき出しの本性だと思っています。彼らの行動はえげつないよ。

  • 仲間(集団)とは、同じ行動原理を持つ者達。そして少数のボスに多数の子分がつき従う集団システムを構成する。(サル山みたいなもんか)
  • この集団システムの中は味方だが、他の集団システムは基本的に敵
  • 集団システムに所属できない個人(例えばボスのいうことを聞かない、趣味が違う、体が違う(障害者や外人等)は基本排斥する用行動する。転校生や外国人が虐められるのは定番ですわな
  • この集団システムは縄張り争いを常に行っており、何かとあればすぐ揉め事→喧嘩→潰し合いに発展する
  • 過去に遺恨を残したりした集団システム同士は、執念深く関係悪化し、何もなくとも潰し合いを行い続ける

ほれ。これを大きくしたのが国でしょ。ガキの争いと何が違う。つまり人間は、似たもの同士の集団で共生システムを構築することを好む(民族、宗教、言語とか)し、自分たちが所属する共生システム以外は、基本敵とみなし排斥にかかる(パレスチナ問題などの宗教紛争とかね)。それが人間の本性だと思う。この本性を、教育、理性で必死に覆い隠しているのが、人間でしょう。
だからこそ、教育レベルが低い地域では紛争が多発するし、教育レベルを高める事こそ、抑止力となる、ということは理解します。

が、一生懸命押さえつけているだけで、一枚皮をはがせば、本性が顔を見せます。つまり、国家間、民族間は交戦状態であることが自然であるとも言えるかも。
さあ、だからこそ考える。戦争状態が人間の性だとするならば、平和とはなんだ?平和とは…大規模な紛争、武力行使が無く、人々が生命の安全を意図的に脅かされること無く生活している状態だと、おいちゃんは思います。さて、だとすると、戦争じゃなくても命を狙われている状態は、その人にとっては平和じゃない、と言えるでしょう。つまり、平和を守るということは、すごく困難だということ。いがみ合い、争う事が人間の常であるならば、個人間で平和を脅かされることもザラだし、国家間で平和を脅かされることもザラ。では、平和な状態を維持するためにどうするべきか?ということなのです。

我々のほんの70年前の祖先、そしてほど近いおじいちゃんや親の世代は、戦争を経験した世代です。平和を脅かされていた世代です。だからこそ、今の平和が如何に貴重かを理解していると思うのです。一歩外に出たら、社会は?そして国家間は?平和を維持するための緊張状態が続いていると言えるでしょう。話せば分かる、と言っていられるでしょうか。実力行使で共生システム(国)を潰しに来る敵と話し合ってみますか?多分話している間に殺されます。では、いかなる平和を脅かすリスクにも対処することが、平和を維持する事になるのです。それがいわゆるリスクマネジメントです。リスクマネジメントを考えれば、殴ってくる敵を実力で排除する方法も必要(自衛隊)だとなるはず。

さて、太平洋戦争が終わって68年。そして東西冷戦が終結して25年。世界は本当に平和になったか?Noでしょう。むしろ…東西冷戦が行われている頃のほうが紛争は少なかったかもしれない…実は敵と拮抗し、手が出せない状態の方がましなのかも。もしかしたら、じゃんけんのような三強にらみ合い状態が、一番安定なのかもね。そんな争いに満ちた世の中で、日本はどうやって平和を維持していく?
巨大な城壁で国を囲み、その城壁内なら平和という?その状態は本当に平和なのか?まぁ、日本の中だけは平和でしょうね。鎖国すれば実現可能かも。でも、そんな生活はもう無理でしょう。世界各国と貿易をし、輸出、輸入に生活を頼っているこの状態では、鎖国したら生活レベルが江戸時代に逆戻りすることになる。そんな状態は今の日本人は耐えられないでしょうね。だとすると、常にいがみ合い、暴力があふれる世界で、どうやって平和を維持するかを真剣に議論する必要がある。今憲法改正議論も巻き起ころうとしています。血塗られた歴史から勝ち取ったアメリカの傘の下の平和という形を、今一度考え、これからの日本をどうすべきか、みんな真剣に考えるべき時に来ているでしょう。どのような決断をこの国の人達が下すかわかりませんが、まぁ、おいちゃんに出来ることは、おいちゃんなりに真剣に考えて、選挙で一票を投じること、かな…

posted in マイライフ, 時事ネタ by maruo

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