運命論について思うこと

2月 14, 2006

よく世間で運命論について言われたりしていますね。
「運命なんて、自分の意思で変えていくものだ!!」
とも言いますし、
「どんなに抗おうが、運命には逆らえない」
なんて事も言います。
で、私はどう思っているか。「どちらとも真」と思います。というと少々卑怯なので、最近思うことを。
実は、その人のポジション、というか勢いとでもいんでしょうかね?運命を意思によって変えることができる人と、できない人がいるんです。その流れの鍵を握るキーパーソンは、その人の意思決定が、運命に大きな転機をもたらすこともあります。対して、鍵を握っていない、流れに押し流されるだけの人間は、どんなに抗おうと、もっと大きな流れに翻弄されてしまうだけ…
ということを最近強く感じました…何故かと言うと、いまの仕事の大失敗。おいちゃんはすでに1年前から予見していました。それでも回避する道はある、と同僚、上司、部下、雇い主、お客さんとできうる限り働きかけてきたつもりです。んが!その流れを押しとめることすらできず、今に至っています。なぜ完全に予測できていて、回避策も分かっていながらそれが実行に移せなかったのか??それはおいちゃんに意思決定権がないからです。助言はできる。いくらでも。だけれども、最終判断を下す人は別。どんなに助言しても、聞き入れられなければ結局は自分は大きな流れに巻き込まれざるを得ないのですよ…とほほ…
ただ、だからといって何もしないのでは結局何も変わることは無い。つまり意思決定権のある人間の意志を少しでも動かすためには、何らかのアピールをしない限りは、決して流れは変化しないんですよ。この辺が難しいところ。
ただ、ねぇ…キーパーソンになりえない限りは、結局その他大勢のうちの一人なのかもしれないという絶望感にさいなまれることもしきり…一番つらいのかもしれまへんな~。変に責任感があって、絶望すら感じるのに、その意思決定にかかわることすらない無力感。う~む、なんかやるせない。
だけ~どぉ、キーパーソンについて回るのは、責任。プレッシャー。重圧。これはこれできついんだよなぁ。
運命を左右できる意思決定権を得るか、それとも重い責任、プレッシャーを回避して、のほほんと暮らすか。
ま、どっちつかずっていう今の状態よりはどっちもまし?でものほほんと暮らすことに安住の地を得てしまうのも人間として終わってしまう気もするし。常に「もがく者」「チャレンジャー」でありつづけることが必要なのかなぁ?

これも相当精神力消費するんだけどな

どこまでもつかなぁ?俺のプライド…

posted in マイライフ by maruo

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