モノ思う夏

8月 18, 2005

なんとなく実家に帰って暇だった時に、ふと思った事。

私は恨みや妬みを捨てられるだろーか?

何をいきなり、と思われるでしょうが、終戦60年特別企画で、『アウシュビッツ』という番組を見ていて思った事です。
アウシュビッツというと、第2次大戦で、ユダヤ人の大量虐殺が行われた強制収容所として有名ですね。で、それを見ていると、ナチスドイツの非道な行為を、かつてのナチ隊員や、当時の囚人が状況を語る訳です。これを聞きながら、なんとなく最近起きた国際紛争、例えばベトナムやボスニア・ヘルツェコビナ、しかも最近取り立たされている靖国問題なども含めてふと考えてしまったのですね。
人間とは、なんと簡単に残虐な行為を行うことができるものか、ということ。このユダヤ人虐殺についても、実際に虐殺したのは確かにナチスドイツですが、ナチのプロパガンダによって、その他の地域の人達ですら、ナチのユダヤ人狩りに協力的だった、と言います。
ボスニアでは、人種が違う、という事だけで、昨日まで仲良しだったお隣さん同士が、銃で撃ち合うという恐ろしい紛争だったといいます。
日本の中だって、人種が違わないのに同和問題という差別が歴然と残っていると言いますしね。
もしもこんな状況に自分が置かれたとして、果たしてどうなるのか?よくマンガや小説ではこーいうきれい事が描かれたりします。

憎しみは新たな憎しみしか生まない。許す事が必要だ!

これはこれで確かにそうなんでしょうね。だけれども、と思うのです。戦争で無くても、理不尽な事って起きます。自分自身が、家族が、友人が、全くの理不尽さを持って踏みにじられたら?例えば最近多い監禁、誘拐、強姦、殺人、ひき逃げ等などなど…これが平和な世の中で行われたならば、恨みを持って断罪したとしてもあまりケチはつかんのでしょうね。戦争は、これらの行為を集団で、別の集団に行う行為なわけで。つまり国と国が自分の威信をかけて、徹底的に相手の国に先の行為を行うのですよね。なおタチが悪い。
こんな状況に自分が巻き込まれたとして。自分の財産を、自分のナワバリを、自分の大事な人を踏みにじられたとして、そんな達観できるのか?

だと、思う…理屈で割り切れるモノでなく、おいちゃんはそんなに人間出来て無いし。そう考えると、韓国、中国の痛烈な日本非難も仕方が無いとも思えるし。うぅぅぅん、何とも答えが出ない。戦後60年っていう機会に、そういう事を考えてみるってのも重要かな、と思ってみた。
結局は戦争はダメ。相手を否定するような行いはダメ。そしてそーいう人達を育てる行為がもっとダメ。なんとなく平凡な結論にしかならないけど、一人一人が心に刻むしかないんだろうね。
ですが日本という国、そして人達に上のような考えが徐々に失われていっている気がするのは気のせいでしょうか。かつてアメリカと戦争をしていた事実はほとんど心になく、自分さえ良ければいい人が多く、陰湿ないじめ、理不尽な犯罪が増えている…と思う。平和ボケ、なのかしら?
相手の気持ちは思いやれてますか?俺はどうだ?
たまには考えてみましょう。

posted in マイライフ by maruo

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1 Comment to "モノ思う夏"

  1. ささきあやこ wrote:

    まぶちゃん、おはよー!8月もあと10日しかないなんて、
    さびしいわん。
    さて、いつもニュースみてて思うのは、たとえばアタシの家族が殺されちゃったら・・・・どーするか?
    「罪を憎んで人を憎まず」だの、
    「犯人にも家族がいる」だの言いますけど、
    あたしゃダメだね。やりたいことは、
    「家族を殺した同じ方法で犯人をコロス」(爆
    過激かなあ。同じこと考えてる人、いっぱいいると思うよ。
    死刑方法もこれにすればいいって思うんだけどなあ。

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