名前

8月 3, 2005

おいちゃんが常々思うこと。「どこどこ社さんのあのおぢさん」ではなく、名前で覚えられたいということ。
名前を覚えられるというのは、特別な意味を持っていると思うわけです。どー言うことかというと、個を特定されたということ。
つまり個を特定されたということはすなわち、自分の存在を認知されたということ。
更に言うと、多かれ少なかれ覚えてもらった人の人生(というか意識?)に何らかの影響を及ぼした、ということ。
名前も存在もしらない例えば行きかう町で出会う人、というのは幽霊と一緒。いてもいなくてもとりあえずおいちゃんの人生には影響がない。間接的にはなんらかの影響を及ぼしてるのかもしれんけど、ある意味モノと一緒。どこどこで事故があって、何人死亡、とかというニュースが流れても、ほとんどの人は数字で大きい事故、小さい事故、っていうだけですよね…悲しい、とかという感情はないでしょう。言い方がきつく、冷たく聞こえて、認めたくないかもしれないけど、ほとんどの人にとってはそうなのではないか、と思いますがどうでしょう。
見た目を覚えた、というのは更に一歩進んで、ある、ということは認知されたけど、影は薄いという存在ですかね。ぶつかってすみません、とあやまる、席を譲ってあげる、とか。時間が経てばそのうち忘れちゃうしね。
だけど、名前を覚えてもらうというのはかなり違う。名前というのは個性を象徴する。例えば名前だけが一人歩きする、なんてのもあるし。「あの○○さんて、XXXXな人らしいよ」みたいにね。本人の個性と違うかもしれないけど、名前自体が個性を持つ。
そしてさらに、顔とセットで覚えてもらうというのは更に強い。自分という個がそこにいると覚えてもらえるから。そしてさっきの事故に、知っている人が含まれているとしたら…その事実が、自分の人生(というか精神面?)にものすごい影響を及ぼしますよね。おいちゃんなら、完全に空虚な状態になってしまうほどショックを受けると思うし。
ちょっと前に人気だった陰陽師。漫画版を読んだりしたのですが、印象的だったせりふがあります。

全てのモノは銘(名前)に縛られている

ちょいときくと良く分からんことですが、その漫画の中の説明だと、

例えばそこの石。なんとなく上面が平らで、両横に取っ手のようなものがあって、もたれかかれそうな板のようなものがあったとしても、石といわれれば、それは「石」でしかない。だがこれを「いす」だ、といってしまうと、その瞬間からそれは「いす」という役割を与えられてしまうのだ。つまり私は安倍清明という役割を与えられ、それに一生縛られて生きるのだ

というようなことが書いてあった(と思った)。なんとなく深いと思いませんかねぇ?
ですので、おいちゃんはおいちゃんの「銘」に与えられたキャラクターに縛られているのかも知れません。そして、人生とはその「銘」のキャラクターを作って、多くの人に認知してもらうためにあるのかも。
だって、誰でも「私はここで生きている」と認知されたいと思うだろうし、自分の実力だって認めてもらいたいと思うと思うし。だからこそ上司の評価を上げようとして、汚いこともやってのけるし、何かに一心不乱に打ち込むことも出来ると思う。そしてその事実を誰にも認めてもらえないのはやっぱり悲しいと思うだろうし。誰にも存在を知られずにこの世を去るのはやっぱり無念だと思う…
そんなんで、若い奴を指導するときなんかに、「君の名前はなんだ?そいつはどんな奴だ?答えてみ?」なんてやってみたりします。そりで、「○○社さんの若い奴で終るな。名前を覚えさせろ」なんて精神論でやる気を盛り上げようなんて考えてみたり。

でも精神論って最近あまりはやらんのかのぉ?

あんまり反応がよろしくなかったり。うぅ~ん

posted in マイライフ by maruo

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