我思う 故に我あり

最近の悪い傾向 anchor.png

私最近、思うことがあります。人から相談を受けたり、いろいろと議論する時に、自分の意見を言いますわね。そういうときに、ちょっと自分の人生哲学というか、ちょっと理路整然とした説明では行けないような話しをしてると、こういう言い方をされますな。

宗教くさ~い

うん、確かに!確かにそう思うのですが…そう思うのですがね、そういう風潮って果たしていいのか?いいわきゃない!というのもですね、多分正しい事とか、道徳とか、人生哲学とかといった言葉が、「宗教臭い」とかという一言で片付けられる傾向にある気がしてならないのですが、どうですか?そういう場面って増えていませんかね?

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どうしてそんなんになってしまったんでしょうかね? anchor.png

う~ん、少なくともですね。私が子供の頃って、結構信心深い人が多かったような気がします。まあ、仏教、神教、キリスト教が入り混じって、めちゃくちゃになっていたとはいえ、ですが。実家が田舎だったし、そういう習慣を大事にする人たちが生きていたから、というのもあるんでしょうけどね。でも、年中行事は基本的に家族と過ごすとか、まあいい意味で、一族のつながりっつーのが深かった気もするんです。で、「日本人たるやかくあるべし!」みたいなそーいう拠り所があったと思うのですが、最近なんだか揺らいできてる気がするんだよなー。私はその一因に宗教があるのではないかと思います。宗教が堕落してきて、絶対性がなくなっていると思うのです。

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宗教の堕落とは? anchor.png

と、いうのも、ちょっと前を思い出してください。1999年の終末ムードが蔓延っていた頃です。怪しい思想集団がいっぱい増えましたよね。いわゆる新興宗教とか、自己啓発セミナーといった、怪しげな奴です。というのも、「ノストラダムスの大予言」や、聖書の黙示録などに代表される、人類滅亡説に根ざした、終末信仰がほとんどで、この先の行く末への絶望とか、生きていても仕方がないみたいな行き詰った心のはけ口として宗教を利用し、尚且つそれを食い物にする思想が多かった事に端を発していると思うのです。

あの頃の終末思想は怖かった。誰もが1999年の厄災がくる事を信じていましたしね。信じていないといいながら、どこか不安を持っていた人も多かったはず。かの有名なノストラダムスの4行詩

1999の年7の月
空から恐怖の大王が降りてくる
アンゴルモアの大王を復活させるために
その前後の期間マルスは幸福の名の元に支配するだろう

すっげぇ有名でしたよね。私あの頃の特報200Xの放送がとっても面白かったのを覚えています。確か、ラテン語に詳しいなんたら大学の教授が、原詩に目を通して一言、「これはひどい訳ですねぇ。大学の学生なら落第です」と言ってました。ノストラダムスが生きていた当時に、フランスの王様にアンゴルモア地方出身の王様が就任し、戦争がいっぱい起きたっていう史実に過ぎないと。1999年7月は、古い4行詩の韻を踏んだだけっていう話でした。そもそもノストラダムスは事実をそのまま書いて処罰を受けるのを恐れて、解りづらい4行詩にしたんだろうということでしたね。いやはや、だまされました。 で、多分破滅は来ないだろうと言うことでしたが、この番組での警告は、嘘であっても、その嘘を信じて行動してしまうことだと。全員が信じて行動すると、嘘も現実の出来事として発生してしまう可能性があるということでした。

まあ実際にそこまでひどいことは起きませんでしたが、細かいところでは終末思想の蔓延、絶望に漬け込む商売の蔓延、それに伴う思想の破滅、人々の退廃といった出来事はあったと思いますね。ある意味こちらの方がひどいことかも知れません。それまで常識であったことが、良きにつけ悪きにつけ覆されています。残念な事ですね…

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なんでこんなんになってしまったんでしょうね?? anchor.png

というのも、宗教や思想団体への行政等の扱いが、緩すぎる事があるのではないでしょうか?つまり、宗教団体、思想団体にて商売をすることがとってもおいしいことが多いから。そして、1999年の世紀末に蔓延った終末思想は、人を絶望させ、宗教にはめさせることが容易だから。だから人の心を掴んで、尚且つ食い物にするような団体が山のように発生したのではないでしょうかねぇ…

私思うのです。思想を語るとき、引いては自分の意見を語るとき、語る人は自分の言葉に責任を負うべきだと。人の言葉ってすごいです。なんの力も持たないようでいて、だけど人間を不幸のどん底から救うときもあるし、人一人を殺してしまうときもあります。尾崎豊さんの曲に共感する人も多かったですし、彼が自殺したときに、後追い自殺者も出たほど。たかが詩、されど詩なのですよ。

でね、宗教団体とかは無税で、優遇されていること。これ自体がおかしい気がしてならんのですわ。つまり、怪しい思想を語る人たちを次々と生み出す温床になっているのではと思うのですが如何?

人間って弱いもので、心の拠り所になる何かがないと生きていけないと思うんです。現実社会って、空っぽの人間が80年も生きられる程甘くないと思うのね。だから何かに頼って生きていると思うんですよ。例えば、親?子供?家族?恋人?会社?自分自身?それとも宗教?生きていく真理に足りる何かを埋めてくれるものがあって、それが生きる力になれば宗教もいいものだと思うんですけどね、宗教に責任は発生していないでしょ?相手が人だったら、悪いことすると法律で罰せられるんですよ。この世の法律ってね、平たく言うと、信頼を裏切ったとき、罪が発生するんだよね。盗み、殺し、詐欺。全部人間同士の暗黙の信頼関係が裏切られたときですよ。過失であってもそう。作業を許されている人が、周りの人が求める能力を全うできなかった訳だからね。子供、親、恋人、会社 、自分自身ですらそうですよ。

でも例外的に宗教だけは違う。なぜ?死んだ後のことは誰も解らないから。そんな事でいいのか?つまり、宗教法人には責任が存在しないんだよね…法人という人であっても責任が存在しない唯一の例外。ここに問題が全て集約されているのでは。思想の弾圧ではなく、でも宗教法人の責任を問える社会構造を期待したいものです。そのために三権分立とか、宗教の政治からの排除をしたんじゃなかったっけ??

神の名を語った戦争。ありますわな。紛争地域に。兵士一人一人に神のご加護を?あるわきゃ無い!そんな神は殺人者です。それに良く似た事件もおきてるし。オ○ムとかね。

思想弾圧ではない、しかし宗教に責任ある行動を求める、そんな法律が制定されたら、もうちょっと世の中もましになるのでは無いかと思うのですが、どうでしょう?

だってこの不況、神様にでも頼りたい気分になるんじゃないの?

そこに正しい思想に導いてくれる健全な宗教があるならば、世の中もっといい世界になりそうな気がするんだけどねぇ。どう??


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初版日時: 2009-08-16 (日) 22:59:08
最終更新: 2009-08-16 (日) 22:59:08 (JST) (2989d) by maruo
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