ワタシの人生観に名前がついていたとは…

7月 29, 2017

いろんなことを知りすぎて「人生」や「生きる意味」がわからなくなった時の考え方「楽観的なニヒリズム」

こんな明快な名前がついていたとは!

すでに1733年に主張されてたんだって。すげぇなぁ。ワタシの中では、大学の一般教養で受講した、倫理学の相対主義が非常にしっくりきてまして。

相対主義(そうたいしゅぎ、英: relativism、独: Relativismus、仏: relativisme)とは、経験ないし文化の構成要素やそれに対する物の見方が、その他の複数の要素や見方と相対的関係(is relative to)すなわち依存関係(is dependent on)にあるという考え方である。

いわゆる、価値観とは相対的であり、事象には正義も悪も存在せず、ただ「有る」のみで、その事象に価値を与えるのは、人間側だ、って考え方ですね。正直事実でしょう。これに対する絶対主義ってのもあって、絶対的正義も悪も存在する、って主張ですが、正直これはまぁ無いだろうなと。

で、この絶対主義と相対主義の中間にあるのが、ニヒリズム(虚無主義)。つまりこの世の事象に何の意味も無いという考え方ですね。
で、ニヒリズムにも2種類あって、

  1. 消極的なニヒリズム(何も信じられない事態に絶望し、疲れきったため、その時々の状況に身を任せ、流れるように生きるという態度)
  2. 積極的ニヒリズム(すべてが無価値・偽り・仮象ということを前向きに考える生き方。つまり、自ら積極的に「仮象」を生み出し、一瞬一瞬を一所懸命生きるという態度)

なんですって。へ~。頭のいい人って、理路整然とワタシの考えを語ってくれるから、凄いわまじで。
相対主義、虚無主義、絶対主義とかって、多分その人の人生観と言うか、生きてきた経験則ってのも大きく影響してるような気がして。

自分のそれまでの人生で培った価値観を何回打ち砕かれたかで、大きく変わってくるとも思うんです。ワタシの中では、価値観を覆される出来事が、成人するまででも大きく3回。成人してからでも、数え切れないほど、否応なく変えさせられてきました。
そこから得られた結論は、いわゆる虚無主義。事象は否応なく発生するもので、自分の力が及ぶものではないということ。

で、絶望してしまわないよう自己防衛の手段として、目の前の事象にどのような価値をつけるかは、自分自身なので、結果

自分自身が、自分の人生の意味を決める。だから、ワタシの人生はワタシが決める。

という考えに至った訳で。さて、これが吉と出ているのか凶とでているのかはわかりませんが

それすら価値を判断するのは、自分自身なのだから、いいのだ。自分が良かったと思えさえすれば。うん

posted in マイライフ by maruo

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