私は冷たい人間なのかしら

3月 5, 2017

今、私は、東日本大震災の被災地にいる。復興はまだ続いている。
その壮絶な爪痕と、311は終わっていないという重みを味わっている。
と、いう話を話した。

ある人は言う。

そんなものは大したもんじゃないよ。被害に遭って、大事なものを失った人たち心の悲しみは、もっと重いよ。

なるほど。確かにそうだ。その痛みは人それぞれ。だから、正直私ごときに推し量れる辛さではない。
が、もし私なら?その当事者だったら、どう思うだろう?と考えてみた。多分、相当死生観が異なると思う…

人は、死ぬ。何らかの形で死ぬ。天寿を全うするのか、事故なのか、病気か、天災か、それとも…自殺か。死因はともかく、人は死ぬ。明白な事実。なので、死ぬこと、この世からいなくなることを悲しいとあまり感じない…それは、運命だったのだ。寿命だったのだ。だから、ある意味、自然に天に召されたのだ。自然の摂理なのだ。と思う。
そういう意味では、場所が離れることもそんなに悲しいとも思わない。卒業とか、就職とか。移動とか。だって、会えなくなるわけじゃない。居るんだから。この世に。ならばまた会える。
何故だろう?多分、私は、小さい頃から「死」が身近だったからなのかもしれない。
母の父(つまり母方の祖父)は、戦争で死んでいるから会ったことがない。祖父、祖母。多くのペット。犬や猫。私が実家にいる間だけで、何匹引き取り、何匹死んだだろう。10匹では効かないだろう。息を引き取る瞬間を看取ったことも何度もある。
ブルーインパルスの墜落事故という、常識を覆すような事故も目の当たりにし、ふとした機会にお会いした自衛隊のパイロットが、1年後事故で帰らぬ人になったこともある。子供の頃遊んでもらったお姉さんの自殺もあった。逆に、やぎの出産とか毎年見ていた。なんというか。生も死も本当に身近にあった。それは輪廻であり、自然の理だし。

じゃあ、何が悲しいことか。私が思う悲しい死とは

  • 犬死に。全く意味無く死んでいくこと
  • 私が万全を期すことができずに、そのせいで犠牲を生むこと

正直、これだけは耐えられない。出来ることは全てやった。でも死んだ。それは、もうどうしようもない。手は尽くしたのだから、これ以上なにもしようがない。寿命だったと諦めるしか無い。
が…例えば何らか私が作ったシステムの不具合のせいで、誰かが犠牲になるとしたら?もしかしたらその不具合がなければ、助かったとしたら??正直私は耐えられない。自分を責めるだろう。この世界から身を引くかもしれない。ベストが尽くせない事が怖い。
かつて東日本大震災のとき、松島基地が水没し、救難活動ができない事があった。その時取材された自衛隊の広報の方の涙。
「こういう、日本の危機を救うために日々訓練してきたのに。まさに今がその時なのに、何も出来ない。その無力さが、どうしようも無く悔しくて…」
その涙が、痛いほど解る。
解るけど。ある意味私は「自分は頑張った。ベストを尽くした」と言いたいだけ、なのかもしれないな…そんな私は、少し死生観が狂ってるのかも、しれないなー。なんて…思ったのでした

posted in マイライフ by maruo

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